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長崎地方裁判所 平成5年(ヨ)32号 決定

債権者

鎌田定夫

右代理人弁護士

熊谷悟郎

塩塚節夫

横山茂樹

債務者

学校法人長崎総合科学大学

右代表者理事

石松尚武

右代理人弁護士

田利治

木村憲正

主文

本件仮処分申立てをいずれも却下する。

申立費用は債権者の負担とする。

理由

第一申立ての趣旨

一  債務者は、債権者に対し、債権者を平成五年四月一日以降長崎総合科学大学外国語教授並びに長崎総合科学大学平和文化研究所所長として取り扱い、債権者の教育・研究活動を妨害する一切の行為をしてはならない。

二  債務者は、債権者に対し、平成五年四月一日以降本案判決確定に至るまで毎月二一日限り月額金三〇万一〇〇〇円の割合による金員を仮に支払え。

三  申立費用は債務者の負担とする。

第二事案の概要

一  争いのない事実

1  債務者は、長崎総合科学大学(以下、「本件大学」という。)及び本件大学附属高等学校を設置、運営する学校法人である。

債権者は、昭和三七年本件大学の前身である長崎造船短期大学に助教授として採用され、昭和四九年改称前の本件大学である長崎造船大学教授となり、平成五年三月三一日まで、本件大学外国語教授及び本件大学長崎平和文化研究所所長の地位にあった者である。債権者は、本件大学教職員組合に加入する組合員である。

2  債務者の就業規則に基づいて定められた「学校法人長崎総合科学大学定年制規程(以下、「定年制規程」という。)」には、専任教職員が満六三歳に達したときは、その属する年度の末日をもって定年退職すること、定年退職した者のうち、債務者が必要と認めた者は再採用することができることが規定されている。そして、定年制規程中の「債務者が必要と認めた者」を定める手続については、「学校法人長崎総合科学大学定年後の契約についての取扱い規程(以下、「取扱規程」という。)」により、学長が理事長に申請し、理事長はこれを常務理事会に諮って決定すると規定されている。

一方、教授会を構成する教員の任用については、「長崎総合科学大学教授会規程」により、教授会の審議事項とすることが、さらに、「長崎総合科学大学教育職職員任用規程」により、教授会の決定を学長が理事長に報告し、理事長は常務理事会の議を経て任命すると規定されている。

3  債権者は、平成五年三月三一日をもって、債務者を定年退職した。債権者は、予め定年後の再採用を希望したため、平成四年九月一八日に開催された教授会において、債権者の再採用が決定された。しかし、平成四年一〇月三一日に開催された常務理事会において、債権者を再採用しない旨の決定がなされ、右決定は平成五年三月一日付けで債務者に通知された。

二  主要な争点

1  債権者の主張の要旨

(一) 被保全権利

(1) 私立大学であっても、公の性質を持つものであり、教員の身分は尊重され、その待遇の適正が期されなければならない。そして、教育や研究の専門性、実績及び学問的能力等教授としての適格性の判断は、教授会の自主的決定に委ねられるべきである。債務者における教授の最終的任免権を理事会が有するとしても、任命権の行使は、教授会の自治によって制約を受けるのであり、理事会は教授会の決定を最大限尊重すべきである。

(2) 本件大学における専任教職員の定年後の再採用については、本人の希望があれば、教授会の再採用決定を経て学長を通じて理事長に申請し、常務理事会が教授会の決定を尊重して再採用を決定することが、長年にわたって繰り返されてきており、慣行として(以下、これを「債権者主張の慣行」という。)すでに確立している。右慣行によれば、教授会が定年後の再採用を決定した場合、常務理事会は合理的な理由がない限りこれを拒否することができず、教授会が定年後の再採用を決定したにも関わらず、常務理事会が合理的理由もなく恣意的に再採用を拒否することは、労使関係を支配する信義誠実の原則、とりわけ、債権者主張の慣行や教授会の自治の尊重の理念に反し、任命権の濫用として違法無効である。債務者は、債権者や教授会に対して、再採用を拒否した合理的理由を何ら明らかにしておらず、任命権の濫用に当たる。右再採用拒否が違法無効であれば、債権者主張の慣行に従って雇用契約が継続することになる。

(3) 確立した債権者主張の慣行の下では、債務者は、定年退職した専任教職員一般に対して、使用者として、黙示的に再採用の申込みをしているというべきであり、定年退職者が再採用の意思表示をすれば直ちに再採用契約が成立する。本件では、債権者は、予め定年後の再採用を求める意思表示をし、教授会も再採用を決定しているのであるから、再採用契約が成立している。

(4) 債権者が債務者の再採用を拒否したのは、債務者が本件大学教職員組合の組合員であることを理由とした不当労働行為であり、違法無効である。したがって、債権者主張の慣行によって雇用契約が継続することになる。

(5) 以上によると、債権者は、債務者に対して、本件大学教授及び本件大学平和文化研究所所長としての雇用契約上の地位を有する。

(二) 保全の必要性

(1) 債権者は、平成五年四月一日以降、教授会が作成したカリキュラムに従って、本件大学教授として、六〇〇名を超える学生に対して講義を行うとともに、同教授及び本件大学長崎平和文化研究所所長として、本件大学内の研究室や研究所等を利用して、教育・研究活動を行っている。しかし、債務者は、債権者に対して、本件大学内の研究室の明渡し及び講義の中止を求めており、債権者の教育研究活動を妨害しようとしている。また、債権者が受講学生に対する単位の認定を行わなければ、学生が卒業や進級に必要な単位が取得できなくなり、学生に対しても回復しがたい損害を及ぼす。

(2) 債権者は、現在債務者から支給されるべき月額三〇万一〇〇〇円の給与をはじめ研究活動費、出張旅費及び各種手当て等を一切受け取ることができないため収入が途絶し、病弱な妻や長男を抱えて、その生活を維持することが困難な状況にある。

2  債務者の主張の要旨

(一) 被保全権利について

(1) 学校法人である債務者の最高意思決定機関は、経営に責任を負う理事会であり、教授会の決定は補助的権能を有するに過ぎない。常務理事会は、教授会の決定を尊重はするが、これに拘束されるものではない。定年後の再採用人事について、これまで教授会の決定と経営責任を負う立場に立って審議した常務理事会の決定とが結果的に矛盾することがなかったとしても、債権者主張の慣行が確立するはずはない。

(2) 債権者は、債務者の就業規則に基づく定年制規程により退職した。定年後の再採用は、定年制規程の例外であるから、再採用すべき必要性があるなら、債権者又は教授会が常務理事会に対して合理的理由を説明すべきである。本件では、平成四年一〇月三一日の常務理事会まで、債権者から再採用の合理的理由は何ら示されなかった。なお、債務者が、債権者の再採用を拒否するに当たって考慮したのは、債権者の健康問題及び債権者が学位を有していないことであった。

(二) 保全の必要性について

(1) 債務者が、定年退職した債権者に対して、研究室の明渡し及び講義の中止を求めるのは当然である。また、現在債権者の講義を受講する学生の単位認定は、教授会の議を経て学長が定めることとされており、学生の卒業や進級に差し支えるという事態は起こりえない。

(2) 債権者は、定年退職により、退職金二三七一万七九八七円の支払を受け、さらに、年額約二九五万九〇〇〇円の年金支給を受けることができる。また、債務者の妻は、長崎県立短期大学に助手として長年勤務しており、債権者の生活の維持は容易である。

第三主要な争点に対する判断

一  前記争いのない事実を前提に、まず、被保全権利について判断する。

1  およそ、定年制の下における定年後の再採用は、従前の雇用契約が合理的理由の下に終了した後、新たな契約を締結するものであるから、その使用者は再採用するかどうかを任意に決定しうるのが原則である。ところで、定年制は、一般労働者については、加齢により労働能力が次第に減少する反面、給与は増大することから、人事の刷新、経営の改善等企業の組織及び運営の適正化を円滑に行うためのものであって、合理性が認められるところ、大学教授についても、国公立大学の教授について、教育公務員特例法八条二項に定年制が定められているように、特に定員の限られた地位につき、いわば「後進に道を譲る。」意味で強制退職年齢を定めたものとして、やはり合理性が認められる。右のような定年制の趣旨のほかに、私立大学では定年制に関する関係制度諸規定の定立が各大学に委ねられているところ、債務者の定年制規程等においては、教育公務員特例法四条二項や一〇条のように、教授会の構成員の意思を重要視するような表現になっていないこと、債務者の定年制規程三条及び取扱規程五条において、前記任用規程と異なり、定年後の再採用の場合に限り、理事長ないし常務理事会に「別段の取扱い」をする余地を認めたこと等を総合して考えると、定年退職後再採用するか否かは、使用者である債務者が、学校運営上特に必要があると認められるかどうかによって決することができるというべきである。

2  そこで、債権者主張の慣行の有無について検討する。(証拠略)によれば、債務者において、昭和六二年度以降定年退職後の再採用人事については、一件の例外を除いて、教授会の再採用決定どおりに常務理事会の決定がなされてきたことが認められる。

しかしながら、定年後の再採用人事について、債務者(常務理事会)が教授会の決定を尊重することは、本件大学の円滑な運営に資して望ましいことではあるけれども、審理の全趣旨によれば、繰り返された右再採用決定において、債務者は、教授会の決定に事実上配慮しつつも、経営責任を負う常務理事会としての自らの立場に立ってこれを行ってきたことが認められるとともに、債権者主張の慣行が前記定年制の趣旨に必ずしもそぐわず、また債務者の定年制規程等の諸規程が前記の通りのものであることに照らすと、右事実から直ちに債権者主張の慣行が確立しているとまでいうことはできない。そして、債権者主張の慣行が認められない以上、これを前提とする債権者主張の被保全権利に関する主張はいずれも採用できない。

二  以上によると、債権者が債務者における雇用契約上の地位を有することの疎明がないので、保全の必要性等その余の点について判断するまでもなく、債権者の本件仮処分申立てはいずれも理由がない。

(裁判長裁判官 江口寛志 裁判官 川久保政德 裁判官 齊藤啓昭)

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